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ペット徒然

ペットについてのあれこれを、気の赴くままに綴ってみようと思います。

犬も、それから猫も無理。

 私は犬が嫌いだ。いや、嫌いというより、本当は恐いという方が正しいだろう。
 昔は猫も嫌いだった。恐かった。五歳か、六歳くらいだったろうか。「猫化け」の菊人形を見せられたからだ。
 私が幼かった当時、菊人形見物に行くのは、数少ない家族の娯楽イベントだった。今なら、家族でUSJへ遊びに行くといったのと、同じ感覚だろうか。
 等身大の人形、白い長い髪の毛を前に垂らした小柄なお婆さんが薄暗い中、行灯の戸を開けて、中の油をぺろりぺろり……。振り向いたお婆さんは化け猫になっていて、私に向かってにやりと笑った。
 体が凍りついた。今となっては、他愛ないホラーだったのだとは思うが、幼い私には本気で恐ろしく思えた。幽霊の恐ろしさ!
 それからしばらくは夜中、お手洗いに立つのも弟を寝床から引っ張り出して、
『待っといてや!』
 とお手洗いの前で待たせていなくてはならなくなったぐらいだ。当時、屋敷のお手洗いは長い濡れ縁の先にあって、真っ暗な前栽を横に見て行かなくてはならなかったので、恐さも一入だったのだ。
 暗闇の中、蹲る雪見燈籠、すうっと立つ石燈籠が、行灯に顔を突っ込む「猫化け」のお婆さん、立ち上がって振り向くその姿を私に思い起させる。背筋がぞくぞくした。
 こうして、私は猫が大嫌いになった。そもそも猫にはどこか超自然的な、この世ならぬ雰囲気があると思う。子猫はともかく、昼間見る大人猫は瞳孔が細く、どうも目に凄みがある。それに全身ぐにゅぐにゅだし。今はそれも何とも柔らかで可愛らしいと思うようになっているが、かつては本当に不気味で、恐くて駄目だった。
 そういう超自然的な、幽霊めいた恐さを感じていたのが猫なら、犬について、私はもっと物理的な、現実的な恐怖を感じてしまっている。単純に言うなら、飛びかかられて、咬まれそうで恐いのだ。
 私は山里の育ちで、小学校に通うにも片道たっぷり一キロ以上歩かねばならなかった。まあ、家路を辿る嬉しさに加え、友達と道草しながら遊び遊び帰る帰り道は、そんなにしんどい一方のものではなかったが。
 たとえば初夏の帰り道、良く実った裸麦の畑にカバンを隠しておいて、桑畑に直行。道草は家からも学校からも実は禁じられていたので、楽しむにはそれなりに知恵が必要だった。うっかりすると、翌日の反省会で立たされる羽目になってしまう。
 あころんで(熟して)真っ黒になったふなめ(桑の実)をぼって(採って)は食べぼっては食べ、友達同士、真っ黒になった唇、歯や舌を見せ合って大笑いしたものだ。喉が渇けばしゅうず(湧き水)を両手ですくって飲む。今のように、生活排水だの環境汚染物質だのと、気にしなくていい時代だった。
 さて、その通学路には、実は難所(関所と言ってもいいぐらいだ!)が一か所あった。村外れの、独り暮らしのお爺さんが住んでいた家だ。
 本当はお爺さんというほどの歳ではなかったのかもしれない。しかし、幼い私の眼から見て、ぼうぼうと長い髭を生やしたその人はお爺さんそのもので……そのお爺さんの飼っていた犬が、私を含めた村の子供たちの「難所」を生み出していた。
 エースという、当時からすればハイカラな名前を付けてもらっていたその犬は、当時らしく、放し飼いにされていたのだ。その黒毛のエースは前の道を通学する私たちを見かけると、狂ったように吠え立てて追いかけてきた。もう、必死の思いで逃げたものだ! 
 子ども達の誰もがぶら下げる、給食のミルク用のアルミ食器を入れる食器袋というものがあった。給食といっても、当時はミルクが出るだけ。おまけにミルクといっても、GHQから提供された脱脂粉乳というあれだ。戦後の所謂食糧難の時代、美味しいものなどろくに無かった当時にあっても、幾らなんでもあれは不味かった! うちの山羊のミルクは、濃くて美味しかったのに。
 私はその袋を振り回し、追いかけてくる黒い頭を叩きまくって、半泣きで逃げた。逃げても逃げても、それでもエースは追ってくるのだ!
 この記憶のせいで、私は今も犬が恐い。弟もエースに追い回された経験があるそうで、犬は好かないと言っている。
 離れて眺める分には犬も問題ないし、ふかふかとして目に優しいとは思う。蛇や毛虫とは違う。ご近所の飼い犬たちを、
『可愛いですねえ』
 というのは、別にお世辞でも何でもない。ただ、懐っこい子犬がしっぽをふりふり手を舐めに寄って来たりするのは、少々困る。やはり、恐い。一瞬、身を引いてしまう。
 そんな犬が、ついに我が家にやって来るのだ。

 

 

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