ペット徒然

ペットについてのあれこれを、気の赴くままに綴ってみようと思います。

野良猫との出会い

 私の猫嫌いを治してしまった、野良猫たちのこと。
 野良猫たちとの出会いは、結局は哀しい別れと繋がっていたが、それでも数年間はお互い、楽しいというか、心安らぐ付き合いが続いていたかと思う。人間視点の身勝手な思いかもしれないが、確かにそうだったと私は信じたい。
 私と彼らとの触れ合い、それはアヒルから始まった。
 当時、私はこの土地に引っ越してきたばかり。結婚後、長年望んでも得られなかった子供をようやく授かり、私も夫も勇み立って、職場からはだいぶ離れてしまうが、生まれてくる子供のためにも庭のある家をと頑張って、開発し立てだったこの地に庭付きの家を買って移り住んできたのだ。
 しかし、肝心のその子は庭で遊ぶような歳になる前に、呆気なく逝ってしまった。今いる子どもたちが顔も知らない兄、私の長男だ。
 遊ぶはずの子供がいなくなった庭のある家は、何とも虚しいものだったが……。
 今思えば、代償行為とでもいうべきものだったのかもしれない。私は勤務帰り、駅から新しい我が家への帰り道、途中にある公園の池でアヒルにパン屑を投げてやるようになった。偶々夫の帰りも重なると、二人で投げた。
 番いなのか、二羽いたので、名前を「があ」と「があ」にした。……要するに、二羽の見分けがつかなかったのである。
 可愛いものだった。
『があがあ!』
 と私が呼ぶと、池の反対側で休んでいても、街灯の銀色の光のなか、するすると池に入り込み、
『があ! があ!』
 と鳴きながら水面を滑り、寄って来る。そして、池の鯉と競争しながらパンをつつく。毎晩のことだったので、何処で見分ける(聞き分ける?)のやら、私や夫が通りかかると、呼びもしないのに
『があ! があ!』
 とやって来るようになってしまった。あんまり律儀に寄って来るので、パン屑を持っていないときは、わざわざ公園の隣を避けて遠回りして帰らなければならなくなったほど!
 そんな、アヒルとの交流がなぜ野良猫たちとの交流に繋がったかというと……。
 或る晩のことだ。
『があ! があ!』
 と鳴くアヒルたちにパンを投げてやっていると、
『にゃあ! にゃあ!』
 と声がするではないか。見れば、茂みに雉虎の猫がいて、物欲しげににゃあにゃあ鳴いている。
『アヒルばっかりずるい! 僕にもちょうだい!』
 と言っているかのようだった。脅かさないようにそっとパンの欠片を投げてやると、いったん用心深く茂みに引っ込んで、しかしすぐに顔を出してがつがつ食べ始める。
『パン食べるんやね。猫って肉食ちゃうの?』
『猫は雑食やろ』
 あんまり美味しそうにパンを食べる猫が可哀想で(それに野良猫のせいか、私が気味悪くなるほどの距離までは近づいて来なかった)、私たちはそれから、その猫の分もパンを用意してやるようになった。
 猫の名前は、「陸のがあがあ」にした。「があがあ」と呼んでいたら出てきた、陸の領分で生きる子だから。
『安易やな!』
 夫は呆れていたが、なに、名前など名は体を表す式に、分かりやすい方がいいのだ。
 その夫は、猫は雑食だと言っていたが、ネズミやスズメを捕まえて食べる猫は、どちらかというと肉物の方が良いのではないか? そう思ったので、私はドライキャットフードを「陸のがあがあ」用に用意してやるようになった。――洒落た通勤用バッグに、こっそり袋に小分けしたキャットフードを詰めて出勤する女というのは、私以外に果たして当時、いたものだろうか?
 これが、私と野良猫たちとの最初の接触である。ちなみに、アヒルたちはアヒルたちで可愛いので、最初はアヒルたち用のパンも別にバッグに詰めていた。しかし、やがて用意するのはキャットフード一色になる。なぜかというと、ちょうどパンが無かった日、困ってしまってキャットフードをアヒルたちに投げてみたら、パンなどより、そちらの方をよほど喜んだのだ。
 パンと違って、キャットフードは水にほとんど浮かばず、すぐに沈んでしまう。その、すぐに沈むキャットフードをぱくつくアヒルたちの、猛然たる勢い! 寄って来る鯉を蹴散らす勢いで、
『ががががががッ!!』
 そういう訳で、私は日々、仕事用バッグに野良猫用キャットフードと、アヒル用キャットフードを詰めて出勤することになった。
 

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